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一念発起でUターン起業。喜びも厳しさも経験した一年間。

吉満さんご夫婦

吉満さんご夫婦はどちらも霧島市(旧国分市)の出身。

伸一さんは長男ということもあり、漠然とではあるが将来的に故郷へ帰ってくる考えは持っていた。


県外の大学を卒業して、そのまま就職。職場の転勤で東京に15年、広島で20年を過ごす。

「数年前から自分の仕事にやりがいを感じられなくなってきていて、そこへ東京本社転勤の話が持ち込まれたんです。考え抜いた末、定年退職を待たず辞めて帰ってこよう、と決めました」。


平成18年9月にご夫婦で帰郷。

現在は伸一さんの実家で暮らしている。


「今まで会社組織という大きな傘の下で働いていましたが、自身の新しい力を故郷で試したくて」という思いから、準備期間を経て平成19年8月に会社を設立。


故郷とはいえ、住んでいたのは高校時代まで。

地元には年に1~2回帰ってくる程度で知人もほとんどおらず、しかもこれまで行っていた建設コンサルティングの仕事とは異なる事業(不動産や芝生販売など)も手掛ける。


まさに手探りの状態。

「帰ってきたばかりの時はネガティブなことばかり考えていましたが、1年かけて前向きな気持ちを育てました」。


親交をつなげていた同級生の力やアドバイスも借りつつ、 "第二の人生(*)" をスタートさせたのだ。


39年のブランクはあっても、同級生は心強いもの、と実感したそう。

そんな伸一さんをしっかりと支えたのはやはり英子さん。


ともに人生を重ねてきた二人だからこそ、辛い時期を乗り越えてこられたのだろう。

会社を興して半年経ち、事業の面では少しずつ手応えを感じてきている。


気持ちにゆとりも生まれ、近くの姫城温泉に足しげく通うなど今まで味わえなかった楽しみも見つけた。


しかしながら「メンタルな面ではまだまだ」。


古くからある地域だけに、地元出身の吉満さんご夫婦でも新顔の扱い。

自治会の役を引き受けたり、行事に参加したりと積極的にアプローチを試みるが、コミュニケーションが十分に取れているとは言いづらい状態。


英子さんも実家が近く、身内はいるもののそれ以外で親しく付き合える仲間は少ないという。


伸一さんはゴルフが好きで、英子さんもジムに通うなど体を動かすことが趣味。

時には二人でウォーキングを楽しむことも。


「でもやっぱり仲間がいないと楽しさも半減しますね」と英子さん。

話を伺いながら、地方都市や地域独特の閉鎖性についても考えさせられた。


これは移住者側だけでなく、受け入れる地域側の体制や心構えも整えていく必要がありそうだ。


伸一さんは「移住してどう暮らしたいのか、でも地元との付き合いは変わりますが、実際に地域や人との心の交流が叶わないことによるダメージは大きいと思います。


Uターンでそれを経験した者として、これからは移住者と地元の交流を先導できるような働きもしていきたいんです」。


まずは自分たちが実践、と顔を見合わすご夫婦。


近い将来、霧島市へ移住を考える人たちのサポーター的存在になってくれるのかもしれない。